| サフォーク研究会の始まり | 士別市は、昭和36年には人口41、000人、また米の出荷高日本一の時代もありましたが、相次ぐ減反による離農者の増大、公共事業の低迷などで過疎化が進み、昭和54年には人口30、000人まで落ち込み、減反率60%、過疎化全国第2位という状況で、士別の将来に危機感を抱き「活力あるまちづくり」を目標に地域産業の開発や観光の開発等、商、工、農が一体となって、士別市独自の地域的、歴史的諸条件を活かしつつ地域の活性化を図るため、また士別のC,I,顔をつくる素材として、人との交流の歴史が永く親しみやすく、また北海道に適した家畜として導入されていた羊「サフォーク」に着目し、この「サフォーク」を核とした「まちづくり」を行う中心的団体として、「サフォーク研究会」が昭和57年に設立され、以来20年間官民が一体となって、行ってきた運動です。 | |
| 構造、規模 | サフォーク研究会」は「サフォークインダストリー構想」のもと、委員会をもうけ様々な研究、開発、イベント等をを行っています。 現在会員は約200名(団体、企業、個人)、「サフォークフェスティバル」参加人数約4,000人。 |
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| 企画、開発の経過 | 当初、羊を肉として出荷するだけだったが、毛の利用として、手紡ぎによる毛糸製作、その毛糸を利用したセーター等のニット製品、マフラーや布地などの織物等が、まったくノウハウのないなか、講師などを招いて開発していった。また、肉も付加価値を付つけるため「ジャーキー」「缶詰」等を開発した、現在羊の油を利用した石鹸の開発中である。 サフォークのキャラクターを使った製品や、色々な製品のネーミングにも「サフォークランド士別」が使われている。 |
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| 地域、生活等への波及 | 「サフォークランド士別」として市内外に定着してきた事で、士別市の存在をアピールできると共に、誇りが持てるようになった。 「サフォーク研究会」は商行為ができないので「株式会社サフォーク」を市民有志の出資で設立し、サフォーク関連製品や特産品の販売を全国的に行うことで、士別の販路が拡がった。また、セーターなどを編む人が120人登録されており新たな雇用の場となっている。 綿羊牧場は「羊と雲の丘構想」のもと、レストラン「羊飼いの家」や綿羊30種の日本一の種類を誇る「世界のめん羊館」ができ観光客が多く訪れるようになった。 市内にサフォークキャラクターを使った看板、施設が多くでき、また国、道の道路、施設に多く使われ、羊の街をアピールするとともに、統一した景観づくりに役立っている。 子供達の学校活動の中にも「サフォーク」が積極的に取り入れられ、郷土「士別」を知り、愛し、誇りを持つのに役立っている。 「ハーフマラソン大会」や「サッカー大会」などイベントの冠に「サフォークランド士別」がついている。 「サフォークランド士別」としてマスコミ等の取材が多くあり、全国的に士別市が知られるようになった。 これまで捨てられていた豆殻や雑草がめん羊の飼料として利用され、そのめん羊の堆肥を活用して地力の回復を図り、有機農業の示唆が得られると共に、最も自然に近い形のサイクルの実現化が見いだされた。 |
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| 表彰歴 | 昭和60年 国際青年記念功労 「総務長官賞」 平成元年 赤レンガフロンティア大賞 平成3年 サントリー地域文化賞 平成5年 国土庁長官賞 |