1.黎明期  
1 先史時代 アイヌの人たちはこの地方を「シュペツ」と呼んでいました、親の川、天塩川本流の事を意味します。
1 先史時代 天塩川を中心とする士別地方は先史時代から先住民族が生活の場として狩猟等を営んでいたと思われ、多寄遺跡、上士別遺跡等から4千年以上前の石器や土器等が発見されています。
1 明治30年 新保寅吉が探検視察し、、天塩村戸長役場の統治下に士別村が設置されていました。  
1 明治31年

大内勇記が深川より来住し、渡船業を営んでいました。

屯田兵施設の工事に着手し、大工、木挽き、鳶等が移り住む。

    2.屯田兵の入植  
2 明治32年7月 北海道最後の屯田兵100戸、家族を合わせて622名が名越源五郎中隊長の指揮の下入植。鬱蒼たる森林の開拓が始まりました。
2 明治33年

和寒から士別まで鉄道が開通、交通の便が良くなり、開拓移住者も増えはじめ多寄、上士別、川西、下士別、温根別へと本州各県からの入植が続きました。

水稲の試作始まる。

 
2 明治35年

剣淵から分離独立し士別戸長役場が設置されました。

戸数1,739戸、人口6,935人

2 明治40年頃

薄荷が盛んに栽培されました。

薄荷は北海道の特産で香料、薬品等に使う薄荷油がとれ、外国に輸出されていました。

士別も北見と並んで道内の25%を生産していました。

    3.開拓発展期  
3 大正 大正時代に入ると開拓も進み、士別には帝国製麻士別工場や個人の澱粉工場が早くから操業しいました。
3 大正2年 上士別が、分村独立する。
3 大正3年 第1次世界大戦勃発、輸出農産物のあまや馬鈴薯が特に寒冷地に適作な作物の馬鈴薯は大量に作付けされました、  
3 大正4年 1級町村制を実施して町となりました。その時の人口は、10、550人でした。
3 大正4年 この年公会堂が新築落成。この建物は現在、博物館の隣に復元されています。
3 大正5年 士別に初めて電灯がつく。  
3 大正8年 澱粉製造が盛んで、全道生産量の約4割を占めるほどで、士別の相場が日本の相場を左右するほどでした。
3 大正 戦争終結により価格が下落し、変わりに稲作の造田がすすみました、造田のできない所には、除虫菊の栽培が盛んに行われました。  
3 大正8年 士別軌道株式会社設立され上士別、朝日への交通の便もよくなり、産業が発展しました。
3 大正 米作王国士別といわれたその基礎は、富生藤吉が、明治41年に、粘土を水田にまくことで稲の成育が良くなることを発見し、翌年、水田に10cmほどの粘土を敷き詰めて稲の収穫量を増やしました。  ・
3 大正 この方法をほかからお客さんとして土を持ってくるという意味で、客土と呼びました。
3 大正 山崎永太は寒さに強い品種の研究に取り組み「山崎もち」を開発、また温床で苗を育てる方法を考えました。
3 大正 士別は、開拓移住者がつぎつぎに奥地へと入地し産業が発達すると市街地にはさまざまな商店や工場が創業していきました。そのため次第に人口が増え、村から町へとかわっていきました。
3 昭和元年 産業の発展により、士別商工会が発足。
3 昭和元年 大正元年より北海道銀行士別出張所が開設されていましたが、この年、拓殖銀行士別出張所も開設されました。
3 昭和元年 士別町の戸数2,342戸、人口13,914人。までなっていました。
3 昭和 明治製糖(今の日甜)、松谷科学薬品、、浅野セメント、等の士別工場が操業開始しする。
3 昭和16年 昭和16年に始まる第二次世界大戦は生活にも不自由な厳しい時代となり、士別にあっても、戦争の直接の被害はありませんでしたが疲弊困憊はまぬがれませんでした。
4.戦後発展期
4 昭和21年 坂栄養食品、東洋製線などの士別工場が操業を始める。
4 昭和23年 開基50年を迎えた士別では、この記念事業として士別小学校を会場として産業振興博覧会が開催されました。戦後まもなくのことだったので、展示品をそろえるのに苦労しましたが、士別の特産物や工業製品ばかりでなく芸術文化などの展示もあり5日間に5万人が集まりました。
4 昭和23年末 ころから物資の統制がしだいに解除されて景気がよくなり士別商工会議所設立。
4 昭和25年 近隣7ヶ町村の経済力を結集し、士別地方信用組合(現在の士別信用金庫)が業務開始するなど、士別の産業も徐々に回復してゆきました。
4 昭和26年 第1回桜祭りを開催し地元はもとより近隣町村かもたくさんの人が花見にきました。
4 昭和24年 奧士別が上士別村より分村独立朝日村となりましたが
4 昭和28年 町村合併促進法施行。
4

昭和29年

7月

士別町、上士別村、多寄村、温根別村の4ヶ町村が大同団結し士別市となりました。
4 昭和29年 北海道では、20番目の市として誕生しました。その時の人口は、39,160人で、面積が603平方kmでした。
4 昭和29年 11月には第1回市議会議員選挙が定員30名で行われました。
4 昭和30年 デイジー食品士別工場操業。
4 昭和31年 第1回士別雪祭り。
4 昭和33年 つくも市場開設。
4 昭和35年 公共下水道事業着手、駅前デパート開店、米出荷30万俵達成。
4 昭和36年 人口41,218人までのび、目覚ましい発展に街は活気づきました。
4 昭和37年 道道士別滝の上線開通。
4 昭和39年 市民会館落成。
4 昭和40年 国道239号士別苫前間が16年に及ぶ工事で開通。
4 昭和40年 陸上競技場が南士別に完成。市総合庁舎完成。
4 昭和41年 岩尾内ダム建設着手し昭和46年に完成、農業の近代化とこれらの基盤整備事業は建設関係、商工業への波及も大きくこの地方に限りない恩恵をもたらしました。
4 昭和42年 つくも水郷公園造成が10年がかりで着工。商業組合士別専門店会発足。
4 昭和43年 米出荷50万俵突破。1市町村あたり、日本一の生産を記録。
4 昭和44年 士別デパートオープン
4 昭和45年 米の生産調整が始まる等時代の変化とともに、人口も減少し始める。
4 昭和50年 人口30,028人に減少。
新たなる街づくり
5 昭和51年 士別市の新しい観光として8月につくも水郷公園と中央児童公園を主会場に第1回天塩川祭りを開催しました。
5 昭和51年 わたしたちの生活に深くかかわりのある天塩川に感謝の意をこめ、川舟みこしなどのさまざまなイベントがもようされました。
5 昭和57年 トヨタ自動車士別試験場が着工、その後ヤマハ、ホンダ、ダイハツ、ブリジストン等もテストに訪れ現在の寒冷地テストの街へとなっています。
5 昭和57年 士別の顔として、サフォーク種めん羊を取り上げ、士別青年会議所のメンバーが中心となって士別サフォーク研究会が発足。
5 平成元年 第44回国民体育大会ウェイトリフティング競技大会開催、
5 平成4年 羊飼いの家オープン。
5 平成6年 世界のめん羊館オープン。
5 平成9年 スポーツ合宿センター「士別イン翆月」オープン。
5 平成11年 オーストラリア、ゴールバーン市と姉妹都市調印。
5 平成11年 士別は開基100年を迎える。